2022.06.04 #4 Reality Bites Me. ____ The World.

土曜日。

朝起きてなんだかんだシャワー浴びてなんだかんだしていたら昼。

隣の方が家の広い庭にテントを張って子どもと遊んでいる。響き渡る子どもの高くて楽しそうな声と、子どもに合わせたお父さんのふざけた声色が飛び込んでくる。幸せの形。愛の形。そこに宿る美しさに自分も入れてもらった(勝手に入った?)気がして、あたたかい気分。さぁ、昼飯を作ろう。レシピ調べるとペペロンチーノどーん。やるか。音楽をシャッフルで聴きながら、にんにくと唐辛子を刻み、弱火でオリーブ・オイルに。イタリアンの香りに包まれる。窓を隔ての向こう側とこちら側の幸せ。なんだか混ざり合って得した気分。ベーコン入りペペロンチーノうまくできた。やっぱり料理は好きだ。さらっと集中できるし、思考が込められていない自分の作品ができるし。趣味としてできるようにコツコツとやっていこう。手ににんにくの匂いが残っている。皿洗ってぼーっとしながらヴァンダムのことなんか調べてたら、母帰宅。二階に上がってスーパーカーを聞いたり、三角絞めさんのアト6ヴァンダム回を聞いたり。6時前くらいに散歩に出る。最近は早く歩かない。足と体を引きずってだらんだらんと歩く。背を丸め、とぼとぼと。ブルータスの車特集を本屋でぱらぱらと立ち読みしてから車に目がつくように。なんか一般的にはダサいとされてるようなもさっとした中古車が欲しい。オートマでもあるのかな。最近自分は「くたびれた」「色褪せた」「よれた」「味がある」みたいなものがすごく好きなことがよくわかった。600円で買ったGUのキナリシェフパンツの裾が靴や足と擦れて黒くなっていて、ジーンズを「育てる」とかいうふうに言っている人の気持ちがあぁこれかと手に取るように理解できた。自分は割と着るものや持ち物を、ただ「いい」というわけで選ぶのではなく、思想や生き方を合わせて考えたい人間なので、使用感があるものに自分の歩みや苦闘の跡が詰まっている気がして素敵に感じてしまうのだろう。まぁあとは「くたびれた、うちひしがれた=beat」感に憧れがあるからだろうな。自分はそうは生きられないことも含めて。女性にモテるのかはわからないが、こういう感じのところからも趣味を広げていきたいね。GEOに着く。久々の来店。なんか半年ぶりに来たぐらいでも、店のDVDが減っているのが目に見えてわかって悲しかったな。これ絶対に適当に選んでるだろっていうものが横置きされてたり。ヴァンダムが借りたくて来たけどなんか他も見たくなっちゃって、結局借りたのは『ハード・ターゲット』『サイドウェイ』『地球に落ちて来た男』『エンゼル・ハート』『燃ゆる女の肖像』の5本。見れるかな全部、多分見れねぇなぁ。見れないことを悔やみながら返すのがレンタル・ビデオの醍醐味だよ(前日の夜に詰め込んで見るのもまた一興)。レンタル・ビデオって擬似的にだけど貸し出し期間中その映画たちを「手に入れた」感じがあってすごく心が満たされるんだ。ぼろぼろの貸し出しバッグに入った、確かに質量のある5本の「爆弾」。この「爆弾」で自分と、そして世界が吹き飛んじゃうかもしれないって感じ。例えがよくないかもしれないけど、安全じゃないのが芸術だよ、たまには自分を吹き飛ばしてくれるようなものじゃないと。自分がソムリエになった感じもあってよいんだよ(舌を使ったソムリエになんか一生なれっこないからね)。「今回のメニューはこの5本です。全体的にすこし暴力的に仕上げてみました。」的なね。まだ一本も見てもないのに。このへんの感じは、配信じゃ味わえないよ、まったく。久しぶりに山の上に行ってみたかった第八公園に行く。暗い木々に囲まれた階段を上り、山頂につくと開けた空間に年代がかけ離れた二つの遊具、そして圧倒的な夕日がぱっと差す。

 

f:id:kuraki_author:20220604215014j:image

思わず声が出そうになるくらい。いわゆる「完全」ってやつだ。

少し休んで、いろんなベンチに座ってみて角度を変えて。ベンチで寝っ転がっているおじさんがいる。子どもを何人か連れた母親が上にのぼってきている。遠くから子どもの声が聞こえている。おいしげる植物、風でさわさわと揺れる木々。そしてくたびれて全てに迷っている自分。それでも夕日は全部を包んでくれて、私はたしかにそこにあった。

現実の世界に降りていく。振り返ると草に包まれた斜面に白くて小さな花がたくさん咲いている。なんだか爽やかだった、随分と。身も心も。なんだか生きてゆける気がした。

アトロクに人生相談メールが来ていて、なんだかすごく今の自分と重ねてしまった。生きているのが辛いと。生まれてこなければ良かったんじゃないかと。無力感と絶望感。宇多丸さんの20代の頃の話はなんだかすごい助けになる。要は「20代は生きているだけでなんだかつらい。生き続ければいろんなわかることがある。自分がどれくらいか、社会がどれくらいかということ。その中で自分が『快=心地よい』と思える領域をすこしづつ見つけて広げていってあげることが、何かにつながる。」と。明確な答えを出そうとするんじゃなくて、寄り添ってすこしでも参考になりそうな考えをきちんと話してくれるのがとても真摯だなと感じた。

家に着こうという時に母からの電話。牛乳とミニトマトを買って来てとのこと。21歳のおつかい。ジャパンミートに行き、買う。夕方のスーパーは殺伐としていてなんだか肩身が狭い。そして、帰った。なんだかミニトマトが高かったらしい。すみません。おつかいは買って行って微妙な顔をされることが多いから嫌いだ。気を遣って「ありがとう」って言われている感じもなんだかいやだ。『はじめてのおつかい』に出ているあの子たちも、いつかおつかいの不毛さに気づくことだろう。ご飯。肉焼きとサラダ。ご飯後ぼーっとテレビをみていたら、母親に今何をしているのか、今後どうするのかを問いただされる。またしても答えが出てこない。頭が真っ白になる。それがわかんないからいまフラフラしているんだろうが。分かっていたらもっとしっかりやっているよ、そんな不真面目な人間じゃないんだ、僕は。わからなくなってしまったんだよ。

 

くそだよ、本当に。

真っ黒な未来と真っ白な頭。

ぶっこわすことに決めた。

決めたんだ。

何を?

わからない。

僕はいま大きな「わからない」の中にいる。

 

気分転換で今日のこれを書き始める。タマフルの「スタローン総選挙」を聴きながら。筆がのる。むしゃくしゃしてる時は筆がのるんだよ、ほんとうに。なんだかんだ2時間くらい書いてしまった。文章を書くって時間がかかるね。

 

一応四日目が書けた。今日で辞めても四日坊主だ。続けるって尊いね。

 

今は深夜。去年の夏になんとなく買っていた群像で柴田元幸が訳したジョン・フリーマンの詩を読んだ。特別感動したわけではないが、なんかいいものだなと思った。詩を書こう、私も。

 

<今日の曲>

スーパーカー「cream soda」

坂本慎太郎「君はそう決めた」